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相模川

カスミソウカスミソウ

 1999年6月13日に歩いてきた。
やや盛りを過ぎていたが、相川小学校わきの土手一面が、カスミソウで、白と緑のジュウタンになっていた。 ところどころに、ポピー、ヤグルマソウ、早咲きのコスモスの赤や紫などの花ががちりばめられ、きれいだ。

カワラノギク一輪カワラノギクカワラノギク

 ここにも「カワラノギクを守る会」(河又猛会長)により、カワラノギクの花畑が育成されてますよぅ。
 場所は大堰下の河原(酒井)。
 例年の開花期は11/上旬頃。
(県央の各カワラノギクの名所はこちら)

大堰

 お花畑があるのは、東名高速のすぐ下流、新たに建設された大堰の横の土手。大堰

 川の中州にはシラサギとカワウが約10羽。 サギは白いのですぐ目につくが、ウは黒っぽいので目につきにくい。
堰を上れない魚を待ち伏せしているようだ。
 大堰は、脇に魚道があったが、通りたい魚のうち、無事に通過できる魚がどれだけあるのか疑問だ。 大堰は作る意義があったのだろうか?
 中州は、絶滅危惧種に指定されるカモメ科の渡り鳥コアジサシの国内有数の営巣地だ。 河川敷にスポーツ広場建設の計画があり、コアジサシへの影響懸念から計画は大幅に縮小されるが、作る必要があるのだろうか?
コアジサシは春にオーストラリア、ニュージランド、東南アジアから飛来し、子育てをする。

水遊び遊べる小川と広場

 大堰のすぐ下流の小川で小学生が10人ほど遊んでいる。
ここはもともと小川があったのだが、大堰建設で自然環境が一変してしまったため、付近の住民と県水道企業団の尽力で作り直したもの。
せせらぎや水深50センチ以下の浅瀬が300メートル強つづく。
地元民がさらにショウブなどの湿性植物を植えたり、ホタルの餌のカワニナを放し、ホタルを呼ぶそうだ。
 他にも、相模川ほほえみ広場や岡田多目的広場などがあり、四季おりおりに野鳥なども来て、遊べますよぅ。

碑桜並木戸田の渡し&桜

 相模川には 最盛期には 60ヵ所近い「渡し」があったそうだが、その跡の残っているのはごく僅か。
碑文:「相模風土記稿に 源頼朝の妻政子が、大山の不動尊や 日向薬師に安産の祈願をした という記述があることから、この戸田の渡しは、鎌倉時代にはすでに 武家の大山詣りや 米の運び道として利用されていたと推察される。 この渡しは、用田・長後方面から 下津古久・落合を通り大山へ通ずる大山参詣柏尾道の要衝であり、江戸時代の有名な浮世絵師の 歌川(安藤)広重によって画かれた「相州大山道中戸田川之渡」には、多くの人々が この渡しを利用している当時の様子が 窺える。戸田村と門沢橋村の両村が 船二艘で経営した 戸田の渡しは、川が氾濫する度に 渡船場の位置が変わったが 明治の末まで盛んに利用された。」
 桜並木がいいですよぅ。

足を伸ばして散策
本堂
法徳寺

 寺宝の木造聖徳太子立像は美豆良みずらを結った(頭髪を両脇で留める)16歳の孝養こうよう像で寄木造、玉眼嵌入ぎょくがんかんにゅう。 室町時代末頃の作で、栃木県野木町にある法得寺に生まれた教信坊が背負ってこの地にたどり着いて念仏道場を建てたと伝わる。
 本尊は阿弥陀如来立像。 本堂は寛政12(1800)年の建築、須弥しゅみ壇は部材の墨書から享保3(1718)年に飯山村の大工西海杢兵衛ほか4人の作。 開山は教信(永正元年(1504)卒)。 山号は知恩山高栄院、浄土真宗西本願寺派。
 梅、ツツジ、ボタン、サルスベリがきれい。
場所 : 岡田5-4-12

ノカンゾウ本堂
法雲寺

 客仏の木造不動明王立像は県指定重要文化財。 寄木造り、調眼、しゃけい、弁髪、歯牙、宝剣、けんさくなど不動明王の正統な像で、憤怒の表情や浅めの整然とした衣紋えもんなど藤原様式をよく備えた優品で12世紀頃の製作と見られる。 飯出いいずる明神社の別当一重いちじゅう院(廃寺)の本尊の可能性が指摘される。
 開山は法阿雲げい和尚(天正12(1584)年卒)、開基は山角次郎右衛門勝長やまかどじろううえもんかつなが(慶長19(1614)年卒)で、境内には山角氏代々の宝篋印塔ほうきょういんとう・墓石がある。 山号は来迎らいごう山勝長院、浄土宗。
 双盤という鉦を叩きながら、南無阿弥陀仏と念仏を長く伸ばして唱える独特の双盤念仏(市指定無形民族文化財)が講を組織して継承され、お十夜じゅうやに行われる他、12年に1度の寅年10月10日頃に開帳され薬師堂に奉納される(虎薬師)。
 安永7(1778)年再建の大山道道標も残る。
 桜、桃、花水木、ザクロ、紫陽花、百合、ノカンゾウ、萩、およびイチョウ黄葉がきれい。
場所 : 酒井2471

ニラ似の初秋の花本堂
福蔵院

 本尊の木造阿弥陀如来座像は、上品下生印じょうぼんげしょういんを結び、寄木造、玉眼嵌入ぎょくがんかんにゅう、白びゃくごう・肉にっけい朱に水晶を入れる。 後こう補の部分は両手首から先、白ごう・肉にっけい朱および表面の漆箔しっぱく。 全体のバランスが良く、張りのある上半身や裳の表現などに鎌倉時代の慶派の特徴が見られる。 鎌倉時代後半の作と見られ、飯山金剛寺の地蔵菩薩座像とともに市内では重要な像。
 寿永2(1183)年に岡津古久おかつこく村(市内)に密宗の道場の桃林寺として創建され、河内津古久村(下津古久村)に移り、数度の焼失・再建を経て現在地に定まったという。 山号は仙寿山量光寺、浄土宗。
 ボケ、ツツジ、クレマチス、萩がきれい。
場所 : 戸田1032

梅本堂
延命寺

 2体の木造菩薩立像は、元来がんらい三尊像の脇侍わきじで一対だった模様。 両像は通常の菩薩形をとり、宝冠、天冠台、白びゃくごう、手足、天衣てんね、持持つ等の一部は後補。檜の一木造りで調眼、体部を内繰うちぐりして背板を当て、手足、宝けい、天衣などを別材で剥ぐ。 寛保元年(1741)小田原の仏師・蓮池性円れんちしょうえん・左内が修復を行っている。 温和な表情、丸味のある肉付け、浅く彫られた衣文などに藤原様式特徴があり、12世紀前半の作と見られる。 平成12、13年に全面解体で、補修・修復した。  市指定有形文化財。
 江戸時代、村の鎮守・八幡はちまん社の別当寺だった。 開山は大永5年、大阿じゃ梨良覚かく法印。 山号は戸田山普賢ふげん院、古義真言宗。
 梅、桃、藤、牡丹、花水木がきれい。
場所 : 戸田1099

本堂
長徳寺

 聖徳太子像は袈裟をつけ、柄香炉、しゃくを執る大師十六歳孝養像。 寄木造、玉眼嵌入、彩色さいしき仕上げ。現在の彩色は後補。 全体に良くまとまっており、面相、着衣、衣紋表現なども写実的。 室町時代末頃の作。
 豊臣秀吉の小田原城包囲に際する禁制きんぜい(書状)が残る。 一般庶民や寺院などは秀吉軍の乱暴・略奪から身を守るため禁制を発効してもらった。
 山号は喜楽山、元は真言宗だったが、寛喜かんぎ2(1230)年に西香さいこう和尚が親鸞に帰依して改宗し浄土真宗東本願寺派となった。
場所 : 上落合669

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更新来歴
2006.11.5 足を伸ばして散策に法徳寺と長徳寺を追加。
2006.10.22 戸田の渡し、足を伸ばして散策(法雲寺、福蔵院、延命寺)を追加。
2006.10.20 カワラノギクを追加。

またお会いしましょう! 2000.4.19移設